備忘録

ただの垂れ流し

インターネットの"議論"は議論ではないと思う

序文。

最近インターネットを見ているとものすごい政治的発言が飛び交い、誹謗中傷や人格否定に発展する。 そういう事に対して並々ならぬ不満を抱えていて、この不満をとりあえずどこかに吐き出したいが、友達に対してぶつけるのも気が引けるし、ツイッターでの発信だと私が変人という事もバレる、2chでスレッドを立ててもどうしても長文になるのでスレが伸びない。 なのでハテナブログを始めてみた。

 

本題。

 最近、インターネットは政治色を持つようになってきた印象がある、とよく耳にする。 いや、実際には最近ではないのだ。 今のような勢いこそなけれど、それこそインターネット黎明期から政治色――特にアジア関係の――はインターネットに存在していた。

テキストサイト時代でも国籍で人を人くくりにして暴言を言う人間や管理人はいたし、2ch時代でもニダーというAAが残っているように、アジア関連に対する政治色をインターネットは持っていた。 ただ、インターネット自体の規模が小さい事もあり、目に留まらなかっただけなのだ。

モラルハザードなどと叫ばれている情報社会の現代ではあるものの、モラルハザード自体は前々から起きている、太古とも言うべき時代、非匿名掲示板(プロバイダーの掲示板など)でも本名で誹謗中傷で殴りあう、政治的発言を繰り返し主張するなどの行為はあったのだ。

ハッキリとここで私のいいたい事を述べておく。

「そういった人間は建設的ではない」という事と、「インターネットで議論と呼ばれる物の大半は議論ではない」という事だ。

 

 インターネットが普及する以前であろうと、政治的発言や議論という物に臨む人間は往々にして横暴になる傾向がある。 それは何故か。 分かりやすく私の持論を述べると、以下の通りになる。

インターネットは若者だけでなく、利用者全員に少なからずの万能感をもたらしてしまう。 グーグルの検索で見つかるのは生活に最低限必要な情報だけではなく、最低限の生活には不必要な不祥事、政治情勢、そしてその裏側まで見つかってしまう。 そういった事を知ると、人間は知識的力を手に入れた、自分は人より賢いという優越感を得る傾向がある。

かく言う私も心の表層ではそんなつもりはないにせよ、このブログを書いている時点で心の奥底には優越感という毒があるのだ。 知は毒である、哲学は30を越えた成人にやらせるべきであるとはよく言うが、まさしくその通りで、知識というのは往々にして人のプライドを邪魔なほどに増徴させる――たとえ、間違った知識や、方向のおかしい知恵であってもだ。

だから横暴になる、だから相手の意見をハナから否定してかかる。 そういった人間は、議論という行為においては最も軽視されるべき人間であり、最も議論において収益を得られない人間だ。

 

 そもそも議論とは、相手に主張を認めさせること、相手の主張を打ち砕く、論破する事が目的ではないのだ。 互いにお互いの意見を吟味し、不適切な点を指摘する。 その不適切な点をお互いに改善し、意見をより高みへと上らせるために、複数の意見を融和させていく。

インターネットにおける"議論"というのは決してそのような物ではなく、ただ相手を論破しようと躍起になるだけの物が極めて多い。 更にひどいことに、意見が違うと人格否定を始めてくる。

故に、これ以上に意見が発展する事はまずないのだ。 あるのは白黒付けるという行為だけで、そもそも白黒つかずにお互いに飽きて去る事も少なくなく、むしろそちらの方が数多い。

 

 勿論、インターネットの面白さというのがそういった所にもあるのは否定できない。 ネットイナゴという言葉のように、愉快犯的に善悪を問わずにただお祭り騒ぎ的に論争を楽しむだけという事を、やった事がないわけではない。 すぐに飽きてやめたが。

だが、いくらなんでも最近は本物が多すぎるのだ。 本気でバカな意見を振りかざし、本気でそれが正しいと信じ込む。 インターネットはバカと暇人の物という本が炎上して懐かしい。 読んだ事はないが、タイトルの通りじゃないかと私は昔から一人のインターネットユーザーとして、そう思えてならない。もしそういった傾向があるのならば、一度意見を通そうと思う前に、相手の意見を正しいと考えて議論に臨んでほしい。 相手の意見をハナから否定せずに、まず一考してほしい。 自らの意見を常に疑ってほしい。議論に活発に参加するのだから、知識人ではなくとも言論人ではあるのだ。 私は議論に臨む際の"自らの意見を持つ"、"その上で自らの意見を絶対視しない"、"相手の意見は吟味する"などの矜持を忘れてはならないと思うし、私自身忘れないようにしている。 そうでなくては、ただ自らの意見を無鉄砲にふりかざす愚か者になってしまうのだから。長々と書きたいことを適当に書いたせいで、文体が非常に見苦しい。