備忘録

ただの垂れ流し

ゲーム機バキバキ事件は教育的にどうなのか、という考察

 なんか音楽家の高橋さんという人がゲーム機をバキバキに破壊して問題になっている。 事の詳細はどこぞのニュースサイトにでもまかせるとして、思ったのはこれに対して賛否両論が上がるのはまぁいい。 で、私はこの教育方針には大反対で、要するに反対の立場だ。

 

補足1、私は医者でもなければ心理学者でもなく、間違いがあるかもしれないので、その点についてはちゃんと専門家の意見を優先して信用して欲しい。

 

まず幼少期に子供に最も必要な物とは無償の愛だ、それは条件付の愛であってはならない。 何故か。 それがなければ子供は愛情に飢えた状態のまま育ってしまうのだ。

アダルトチルドレンというのは正にその状態で、彼らは常に愛を求めている。 何故なら幼少期に十分な愛を得られなかった、あるいはその愛が歪んでいたが為にそれを埋めようとしているのだ。 人間は何故だかは知らないが、愛がなければ生きていけないらしい。

自己愛があるじゃないか、というかもしれないが、そもそもアダルトチルドレンはそういった愛されない自分というのに自己嫌悪を覚えたり、条件付の愛を受けたが故に条件付きでしか愛されない自分という"価値の無い存在"に嫌悪感を抱き、自己愛なんてのはなくなってしまう、あるいは歪んだ物になってしまう。

後から愛を注いだところでもう遅い、アダルトチルドレンに必要とされているのは"無償の愛"だ。 親がその役割を一度放棄した以上、アダルトチルドレンには愛を注いだところで"見捨てられるのでは?"という不安が生じてしまう。

そういう状態を医学で"見捨てられ不安"とかいうのだが、そういった物が際立って行動にでてしまうと、アダルトチルドレン境界性人格障害と診断される。 愛という物を感じにくく、愛されていると感じてもそれが"無償の愛"でなければすぐさま見捨てられる不安から自己傷害に至ったり他者を傷害したりする。

 

補足2、アダルトチルドレン人格障害について流石に説明不足すぎると思って、ここで厳密な定義の意味を説明します。

アダルトチルドレンとは「見た目は大人、頭脳は子供」なのではなくて、問題のある家庭に生まれたことで内面に何らかの問題を抱えた子供の事を意味しています。 得てしてこういった家庭問題(機能不全家庭)というのは愛情に関する問題を抱えており、それが"無償の愛を求めてしまう"という状態に繋がってしまうのです。 これはアダルトチルドレンの傾向であり、定義ではありません。 それを定義にしているのは境界性人格障害の方です。 人格障害というのは言葉の印象が悪いので、よく「パーソナリティ障害」とか現代では言われています。 「ボーダーライン」なんて言葉を某メンタルヘルス板で見た人も多いでしょうが、アレです。

でも補足1の通り、ちゃんと「専門家の意見」を優先してくださいね。

 

さて、前提知識としてはこんな感じだが、高橋さんは本当にこの観点から言えば"最低の親"だ。 「あなたは一生ゲームができないという事より、一生ママから信頼されないという事を心配しなさい」という説教は「条件付の愛」であり、「見捨てられ不安」を引き起こす。

「怒る事も子供を本当に思ってやる事なのだから愛なのだ」とかいう人もいるが、アダルトチルドレンについて調べれば分かるし、人格障害についてもいえるのだが、問題はそれが本当に無償の愛かどうかでは全くない。 本人が「無償の愛」と感じるかどうかが重要なのである。

何故か。 人格が歪むというのは極めて内面的な出来事だ。 内面的要素に外的要素が絡むのは、その外的要素の本質ではなく、その外的要素の認識、解釈だ。 本当は青色でも本人が赤色と認識すればそれは赤になってしまう。

さて、ここで更に問題なのは小学生の子供に果たして「ママはこうやって怒っているけど、僕の為に怒ってくれているんだなあ。 僕の事を本当に想っているんだなあ」なんて考えるだろうか。

いや、もっと正確に条件付けしよう。 ゲーム機を目の前で真っ二つにバキバキにするような"威嚇行為"をされた子供は、その威嚇行為の本当の意味を考えられるのか? 否、畏怖して終わりになってしまうのが普通という物だろう。

「約束は子供から言った」とか、「修理できるかどうか考えてからやった」とか、そういった道徳的免罪符は全く無意味だ、問題は子供がどう判断するか、それが教育において最も重要な要素なのだから、親がどれだけ正しかろうと教育的に好ましくないのだから目的の為には無意味どころか逆効果だ。

「ルールを教えてあげている」とか言うのであれば威嚇行為はするべきではなかった。 怒りにまかせた教育は最早支配となんら変わりは無い。 何故か。 力の差で子供を押さえつけているからだ。 そのような教育もまた様々な人格障害を引き起こす。 ざっと思いつくところで回避性、強迫性といったところだろうか。 それらについての詳しい解説は流石に疲れるから資料にでもまかせる。

 

「じゃあどうすればよかったか?」なんていわれたら確かに私も自信がないのだが、多分、約束を破った事による損害を埋め合わせるような何かをさせればよかったのでは?

最初に何が悪かったのかをちゃんと理解させる為に「何が悪かったのか」というのを二人で話し合い、結論をだす。 それから「じゃあ埋め合わせになにをすればいいのか」というのを話し、それを今度は守らせる。

親はこの時あくまでも補助的でなければいけないと思う、結論を押し付けるようなことはしてはいけないし、結論をそのまま与えるような事は思考力と根拠を貧相にさせる。 誘導するくらいが丁度いいだろう。

私ならばまず何故「宿題を終わらせなければゲームをやってはいけないのか」の答えとして「その勉強を怠れば怠惰な人間になる」、「その勉強をしなければ学力がつかず、最悪の場合まともな生活すら送れなくなるかもしれない(勉強の虫になりすぎないようにあくまでも可能性の話にする)」という考えへ誘導し、そこから「親である私は息子である貴方を愛しているから、幸せになってほしい一心でこの約束をした」と伝え、「また、約束を破ることは集団の一員として好ましくない」という考えに誘導し、そこから「補填として1、2時間私の授業を受ける事」とか、「3日の間はゲームを禁止してその間勉強をする事」とかいう罰を取り付けるだろう。 しかし罰の後に褒美をつけるかもしれない、無償の愛の象徴と、辛いことを乗り越えられる"その先にある飴"という物を教える為に。

無論これが正しい教育であるかどうかは分からないし、そもそも完全に正しい教育なんてないだろうし、さらに言えば現実はそう上手くいかないので何度も軌道修正を迫られるだろう。

だけど、まぁ、感情に任せて、あるいはそのように見せてゲーム機を破壊して「私は貴方に条件付の愛で接しています」なんていう教育よりはマシだと思っている。

無論高橋さんとて子供に愛情がない訳ではないだろう、だが、愛があればなんでもいいという訳では全くなく、その愛の表現を慎重に選ばなければいけない。

 

まぁその問題とは別として、いくらなんでも炎上しすぎなんじゃないかなぁ、とも思うが。(笑)

補足3、一応、炎上批判をするつもりはなくて、"なげーなあ飽きないなあ"程度のニュアンスです。 炎上擁護するつもりもなく、"わりとどうでもいい"って感じです。